介護俳句


 重ね着にみぞれつめたい母の手を


 老いた母帽子と遊ぶ秋の風


 母の手に縋る思いの彼岸花

二番煎じの中日春秋 〜格差社会

 想像以上に厳しい競争社会になっている。競争はある程度やむを得ないが、心が病んだり、自殺、過労死まで追い込まれるのは異常な社会である。

 「勝ち組」「負け組」の間に「引き分け組」とも言える層があっていい。何事も、白・黒に分ける価値観は日本ではなじまない。
 
 欧米式、特に米国の物差しであるグローバルスタンダードが恰も普遍的価値観であるかのように言われている。

この考え方の基にキリスト教のような一神教的な考え方がかくれている。わが国に八百万(やおよろず)の神や仏がいる多神教的な考えの方が柔軟性があっていい。

 終身雇用の不合理なところは直し、安定、安心して仕事ができる方が日本人には合っている。昔から仏教はじめ色々な考えを取り入れ、それを日本流につくり変えてきた。

 生物学者今西錦司が提唱した”棲みわけ理論”をヒントに「競争組」と「平等組」そしてその間の「中間組」とがうまく棲みわけできる社会をつくったらどうか。

 さて、私はどの組に入るのかな。

介護短歌


 認定を受けるときには動く手も
    着替えできずに母の呼び声


 ゆくゆくとせかせる母に尋ねると
    あの世の母に会いにゆくよと。



 春のどか小鳥さえずり寝たきりの
    母の呼び声おむつ支度す。

二番煎じの中日春秋〜携帯

 恥ずかしいほど機械に弱い。パソコン・インターネットはもちろんのこと、ビデオの予約も出来ない。

 そんな私が仕事の都合上、携帯電話を持つことになった。まだ当時は珍しいころで、みんなの視線を感じた。

 あるとき、大事にしていた携帯電話を水の中に落としてしまった。
 店員さん「お客さん、アドレス帳は再生出来ません」と…。
 私「その機能は使っていません」と、返事。店員さんの苦笑い。

 携帯電話は便利な道具。使い方次第で生活を豊かにしたり、反対に破壊することもある。

 「メス」は手術用に造られた道具であるが、人を殺す凶器にもなる。「メス」は鉄片に刃が付いたもの。使わなければただの鉄のヘラ。それ自体は、善でもなければ悪でもない。

 携帯電話も同じ。たかが携帯電話と思わず、危険物を取り扱う気持ちで子どもに与えてほしい。

二番煎じの中日春秋 集中力

 雲水と一緒に座禅。寒いし、痛い。作法を真似るのに精一杯。

 呼吸を整え、心静かにと思った瞬間、夕飯や仕事のことなどがつぎつぎと浮かんでくる。一つのことに集中するのは難しい。

 バーベルを挙げる時、目をつむり絶対挙げるぞと暗示をかけ、「エイッ」と気合いを入れる。
 しかし、大きな試合ほど記録が出ない。知らぬまにプレッシャーがかかって日ごろの力が出なかった。自分に負けていた。

 スポーツは同じ条件で試合するもの。
 
 ハンドボールのアジア予選での”アラブの笛”は論外で、0・何秒を競う水泳では同じ水着でやるべきだ。「前畑ガンバレ!」は今でも耳に残っている。

 60歳を過ぎた今は、楽しみながらバーベルを挙げている。

 練習は試合の心構えで、試合は練習のつもりで。

 『片山ガンバレ!』